ICPCエアプ参加記

一度もICPCに出たことのない人が綴る、すべての人のための架空参加記録


第8話

「6月って退屈だよね~」
そう言ってあおいちゃんはノートパソコンを閉じ、ため息をついた。
「そうだね。休みもないし」
「なんか面白いこと、ないかなあ......」
青い髪を耳の隣でくるくると巻いて、天井を見上げている。
「それなら、大学にでも散歩に行きましょう」
あおいちゃんのベッドの上に横たわる、黒い塊が喋った。
「そうですね」
よっこらせと、僕とあおいちゃんは腰を上げた。ベッドの黒い塊も一旦床になだれ落ち、だんだんと高くなって人間の形になった。
「行きますか」
僕は最低限の貴重品を身につけて、玄関へ向かった。靴を履きながら振り返ると、あおいちゃんはいつものちいさなカバンを肩にかけていた。黒子さんはベッドから這い出たままの状態で、存在だけがそこにあった。




途中で二郎に寄った。昼とも夕方ともつかない変な時間だったから、僕たち以外の客はなかった。もはやすっかり店主に認められた黒子さんは、新メニューの試食に付き合っていた。まるで黒子さんのために開発したと言っていい、全てが黒いラーメンだ。どんな味だったか知らないが、黒子さんの眼が爛々と発光していた。
店を出て、おもむろに大学へ向かって歩き始めた。さっきから3人ともほとんど無言だ。原因はいつも何かしら喋っているあおいちゃんが静かなことだろう。というのも、最近あおいちゃんがちょっと格好つけてクールに振る舞うようになってきたのだ。十中八九、黒子さんの影響に違いない。当の黒子さんも眼光の鋭さが増して、いよいよ一層極まってきた。chokudaiさんとの対決が近いのも原因かもしれない。こんな感じで、ちょっと影響されてる十分に健全な女の子と、どす黒くて見るからにヤバい何者かと一緒に黙って道を歩いていると、全方位から変な視線が飛んでくる。僕だけちょっとずつ気まずさを溜めながらも、わりとすぐに大学に着いた。究極東京大学。
「せんぱい、何日ぶりですか~?」
あおいちゃんがちょっと意地悪そうに、黒子さんの脇腹をツンツンしている。黒子さんは何も言い返さない代わりに、あおいちゃんの胸のすぐ前で手のひらをサッと垂直に振り下ろした。あおいちゃんはちょっとヘコんだ。僕たちは黒子さんがいつも冷やし担々麺を大量消費している中央食堂の脇を抜け、構内の最心部に位置する「樹」のところまでやって来た。「樹」といっても、植物の木のことではない。機械と生命体が融合したような奇怪な塊状組織が無数に凝集し、それら一つ一つがあらゆる方向に「枝」を伸ばして複雑に絡み合って、単一の巨大なクラスターを形成しているのだ。それは「幹」のそばに立って見上げれば空が覆い尽くされるほどに大きく、遙かに遠い上層ではサッカーボールほどもある黒光りした球状の「胞」が各所でプチプチ..と音を立てて成長しており、今まさに新たな学部が生み出されようとしている。誰しもが「ここにこそ『大学の意志』が宿っているのだな」と思わざるを得ないほどの圧倒的な気迫と生命力が、この「樹」にはあった。これが死ぬときは、大学が死ぬときだ。僕たちは今、同心円状に形成された要塞のようなキャンパスの、まさしく中心部に立っていた。




この「樹」の前に立つとき、僕はいつもあおいちゃんと2人で受けた入学試験のことを思い出す。究極東京大学の入試は一瞬で終わる。共通試験も願書も必要ない。というのも、この「幹」に触れるだけなのだ。それだけで、「大学の意志」がその者の全てを見通す。適格者と認められれば晴れて入学を許され、そうでなければ体ごと後方に弾き飛ばされる。しかし、魔窟ともいえるこのキャンパスの奥深くまで辿り着ける者自体が、そもそもほんの一握りしかない。どれだけ心を奮い立たせてキャンパスの前までやって来ても、その門をくぐる勇気のある者が全体の半分。意を決して門をくぐっても、半数は外縁部の汎用工学部群が吐き出す熱風や騒音に怖気付いて、すぐにキャンパスの外に飛び出してしまう。そうなった者は、二度とキャンパスに近づくことすらできない。キャンパスに残ったおよそ4分の1の人間は、ここから自力で最心部を目指すことになる。地図などどこにもない。受験者のそれぞれが、自分が選んで決めた道をひたすら先へ先へと進んでゆくのだ。ある者は、「絶望心理学部」が作り出す、どこまで続くかも分からない細く暗い風穴にとうとう潜り込めずに、そこで人生を諦める。またある者は、機械の樹海とでも形容すべき「錯乱哲学部」の懐に迷い込んで、廃人と化す。こうやって1人、また1人と脱落していき、最心部の「樹」まで無事に辿り着く者は例年全受験者の1%にも満たない。そして最後に、その者たちの目的、人格、過去......ありとあらゆる人間要素が「大学の意志」によって篩にかけられるのだ。学ランとセーラー服に身を包んだ当時の僕とあおいちゃんも、あのとき確かにそこに立った。最初からずっと2人で数多の試練をくぐり抜けてきた。ぎゅっとつないだ手を、一瞬たりとも離さなかった。くじけそうになったあおいちゃんを僕は幾度となく励ましたし、あおいちゃんだって泣きじゃくりながらも僕の手を引いてくれた。そして最後の瞬間、「幹」を触れるときも手を繋いだままで、2人で同時に全てを決した......

今になってふと気付いたが、あのとき繋いだ手に滲む汗や涙で僕たちは電気的に強く結びつき、かつ同時に「幹」に触れたのも相まって、僕たちはある意味で1人の人間として認識されたのかもしれない。2人で同じ学部に振り分けられるという前代未聞の現象も、これで納得がいく。まあ今となってはどうでもいいことだ。あおいちゃんがいたから僕は今こうしてここに立っていられるし、あおいちゃんだってそうだ。それで、いいんだよな。




そんなことを考えながら、しばし「樹」の前に佇んでいた。我に返って周囲を見渡すと、あおいちゃんと黒子さんが少し離れたところで僕を待っているみたいだった。あおいちゃんは気持ちよさそうにお昼寝をしていて、黒子さんがさっきまでとは打って変わった優しい眼でそれを見守っていた。僕は2人のところまで駆け足で戻り、いつものように3人そろって帰っていった。



みんなはどっちのタイプの入試がいいかな?