ICPCエアプ参加記

一度もICPCに出たことのない人が綴る、すべての人のための架空参加記録


第11話

「恐らく、ジャッジサーバーにも何らかの障害が発生しているだろう」
「このルーターに接続された大学の機器がおかしくなってるってことですね?」
「え......そんなことって、ある?」
「あくまで推測だが......学内のネットワークで大規模なシステム障害が起こっている...... 原因は不明だが、この不気味な地鳴りもそれで説明がつく」
確かに、この地響きが地震じゃないなら、それは十中八九僕らの大学で起こっている、誰もがそう考えるはずだ。大学生命体......菌類のように無限増殖する学部群を擁する、この巨大で有機的な疑生命構造には、いまだ解明されていないことがあまりにも多い。
「どうしよう......わたしたち、このままこの部屋から出られないとまずいんじゃ......」
あおいちゃんが不安そうにもじもじしている。あおいちゃんはこういう状況に強くないから、僕たちがうまくケアしてあげないと。
「大丈夫だよ。パトカーの音が聞こえるでしょ? きっと警察や自衛隊の人が助けてくれるよ」
黒子さんが顔をしかめた。
「それはない。不可侵条約があるため、国家権力が大学生命体に直接介入することはできない」
「そんな......」
一瞬、パトカーや消防車の群れがずらりと大学を取り囲んで「待機」している光景が脳裏に浮かんだ。近隣住民の避難誘導とかも始まっているのだろう。
「やだよ......こわいよ......お外に出たいよお......」
「あおい......」
この部屋から外に出られそうな部分は3か所ある。僕たちが入ってきたドア、隣のジャッジサーバー室へのドア、窓。確認したところ、ドアには全て鍵がかかっており、窓はもともと開けられる仕組みになっていない。黒子さんがおもむろに窓を指す。
「仮に鍵をなんとかして廊下や隣の部屋に出られたとしても、きっとその先でも同じ問題に直面するだろう。狙うはここしかない」
「よし、僕やりますよ。離れてて!」
部屋に1つしかない椅子を持ち上げ、試しに両手で勢いよく振り回してみた。よし、これならいけそうだ。
「うおおおお!!」
思い描いた通りの馬鹿力で、椅子の脚を勢いよく窓にぶつける。しかし、予想に反してドムッという低い音が聞こえた瞬間、僕の体は反動で訳の分からない回転運動をした。
「うわあああッ!!」
自分の体がどうなっているか理解するのに時間を要した。気がついたら、窓のある側とは反対側の壁にぶつかりそうになったところを、すんでのところで黒子さんに抱き止められていた。椅子は金属パイプがぐにゃりと曲がった状態で、僕の頭と同じ高さのところで転がっていた。
「大丈夫か?」
「多分......」
僕は黒子さんの冷たい体に身を預けたまま、自分の体に異常がないことを確かめた。ちょっと目が回っているが、すぐに回復するだろう。
「そうか、ならよかった」
黒子さんがひょいと立ち上がった。香水の淡い香りが残っている空間に割り込むように、あおいちゃんが顔を覗かせた。
「だ、大丈夫!? どこも痛くない?」
「うん......ごめん」
黒子さんは部屋の真ん中に転がった椅子を見つめ、独り言のように呟く。
「こうなったら......『計算機の力』を使うしかないわね」
「どうするんですか? 壊れてるのに」
「こう......するの......よッ!!」
その白くてか細い腕からは想像もつかない怪力をふるい、片手でPCを持ち上げた黒子さんは、僕たちの「え?」という反応を顧みることもなく、プロ野球選手も腰を抜かすようなフォームで勢いよくPCを投げつけた! 瞬時に亜音速に到達し、その質量も相まって凄まじい運動エネルギーを得たPCは、前方の空気を圧縮しながら直進し、尖った角から正確に窓の中央一点に貫入した。その瞬間、運動エネルギーは莫大な熱に変換され、PCが窓を抜け去った跡には赤熱した大きな真円の穴が残った。
「「あー............」」
僕もあおいちゃんも口をあんぐりと開け、まだ余熱で蒸気が出ている穴をポッカリと眺めていた。
「ふう......まったくマテリアル工学の奴ら、余計な仕事をして」
まんざらでもないといった様子でこちらに戻ってきた黒子さんは、僕たちの開いた口を手動で閉め、窓から外に出るよう促した。
「さ、自己修復が始まる前に、早く。立てる?」




「一体どうなってるんですか! これじゃあ大学がめちゃめちゃになってしまいますよ!」
無事に第八四三工学部を脱出した僕たち3人は、崩壊する学部群をくぐり抜けながら、あの「樹」がある大学中央部を目指してひたすら走っていた。
「私にも分からない! ただはっきりとしているのは......この障害を復旧できるものがいるとすれば、それは私たちしかいないということだ!」
「何か心当たりでもあるんですか?」
「ないことはない。......そもそも、大学自体が自発的にシステム障害を起こして崩壊するとは考えにくい。つまり、本学は外部からの攻撃を受けている可能性が高い!」
舞い上がる土煙を払い、無秩序に散乱する瓦礫を飛び越えながら、黒子さんの推論は続いた。
「しかし当然、この究極東京大学がそう簡単に攻撃によってシステムダウンを起こすことはまずあり得ない! そもそも大学全体が外部から電気的・磁気的に遮断されている。かつ、システムには自己進化の果てに理解不能なまでに成長したセキュリティ・プログラムが何重にも効いている!」
「それなら、どうして......!」
今まで黙って走っていたあおいちゃんが、急に金切り声を上げた。
「ジャッジサーバー!」
「え?」
「確か、今回のコンテストのジャッジサーバーって、外から持ち込まれたものなんですよね? それなら、第一の壁は突破してるじゃないですか!」
「まさか!」
全身に衝撃が走った。思わずよろめきそうになる。黒子さんがあおいちゃんの方を振り向いて、頷く。
「そう! 幸運にも外部から計算機を持ち込むことに成功し、この大学のセキュリティを突破できる可能性のある男が、この世界にたった1人だけ存在する!」
「「chokudaiさん!!!!」」




「さて......そろそろ向こうも異変に気付いて慌て始めた頃だろう......」
ここは遙か眼下に首都圏全域を見下ろす「究極摩天楼」の最上階。あらゆる可聴域の喧噪が減衰しきって届かない、静謐な空間。壮年のカリスマ実業家chokudaiは、大地に貼り付いたモザイク画のある一点を見つめていた。その一点こそ、唯一この高度からでも視認できる巨大な学問要塞、究極東京大学。彼は、いつもそうしているように、その学問要塞をにじり潰すように窓に指を押しつけ、自分のデスクに戻った。ここは彼専用のプライベート・ルーム。この究極摩天楼の全てが彼の所有物であり、また彼のためだけに存在している。彼の側に仕えるクロフォード社製の雌型アンドロイド、ミネコもまたそうであった。
「今日はいつにも増して楽しそうですね、chokudai様」
「フフ......いかなるセキュリティ・システムも、このchokudai-searchの前には無力だ......例えそれが世界最強の学問要塞であろうとな......」
「素晴らしいですわ、chokudai様」
彼もまた、世界に7人しかいない自由色コーダーの1人だ。電子計算機に構築されたいかなるシステムをも乗っ取り、彼の意のままに操ることが可能になるこの「chokudai-search」こそ、彼が13年間かけて創り上げた最高傑作であった。事前に学内に搬入させておいたジャッジサーバーにはその最新バージョンが組み込まれており、コンテスト開始と同時に「侵食」を開始する仕掛けになっていたのだ。彼のデスクに設置されたモニター画面には、今まさに究極東京大学が彼の掌中に落ちようとしていることを示すプログレス・バーが映し出されていた。
「さあ、私の前にその全てをさらけ出すのだ、究極東京大学......!」
開いた手を握りしめ、chokudaiはバーがみるみる満たされていくのを凝視した。ミネコもまた、そんな彼を恍惚の目で見惚れていた。
「13年前、愛する人の命と博士号をこの私から奪った忌まわしき大学生命体も、今日で終わりだ......!」



chokudai、嘘だよな......?