ICPCエアプ参加記

一度もICPCに出たことのない人が綴る、すべての人のための架空参加記録


第10話

秋学期に突入し、そろそろ今年のICPC国内予選の日も近い。が、今日は待ちに待った「ICPC World Tour Final」の日である。要するに黒子さんとchokudaiさんの直接対決するという、ちょっとしたイベントだ。僕もあおいちゃんも、この日をかなり楽しみにしていた。正直なところ、自分たちの出番はそんなにないだろう。事前の案内によると、1問目から聞いたこともないような点数の問題が出るらしい。僕たちのチームは大学内の一室から参加し、chokudaiさんは自分の会社のビルの社長室から参加する。2チームだけのコンテストで、順位表は全世界にリアルタイムで中継される。大学の外には、僕たちを取材しようと集まったテレビや新聞なんかの記者がウロウロしており、見つからないように頑張ってキャンパスに入った。流石にこんな凄みのあるキャンパスの中まで入ってくる記者はいない。吹き荒れる熱い蒸気の列をかいくぐって、僕たちが会場に選んだ、いちばん馴染みのある第八四三工学部をなす構造体に入った。




部屋に入ると、すでにテーブルとパソコンが準備されていた。隣の部屋では、今回特別に設置されたというジャッジサーバーがもう稼働しているはずだ。もちろんそっちの部屋には鍵がかかっている。手元のパソコンはすでにそのジャッジシステムと接続されており、あとはコンテスト開始時刻を待つだけだ。今までのICPCと違って、ちゃんと起きている黒子さんが時間に間に合った状態で部屋に存在するので、チームの準備は正しく万全と言っていい。黒子さんも余程調子がいいらしく、パソコンの前で腕まくりをしながら
「今日は2人ともずっと寝てていいわよ」
なんて言ってる。10本の真っ白な指がキーボードを突き刺すようにタイプする。自前のライブラリが本番のジャッジ環境でも問題なくコンパイルされるか、念の為チェックしているようだ。あおいちゃんは後ろのソファーで仏のような顔をして、黒子さんの後ろ姿を眺めている。彼女は既に黒子さんを起こすという大役を立派に果たし、僕と2人で会場まで黒子さんを安全に誘導するというミッションも無事にこなした。
「さあ、始まるよ」
開始まで残り1分を切った。この部屋には僕たち3人しかいないが、きっとインターネットの向こう側では全世界の競プロerたちが、この瞬間を固唾を呑んで見守っているのだろう。そして、chokudaiさんも。




いつものように、静かにコンテストが始まった。クリック音が1回。黒子さんが無言で問題ページを開く。1問目が読まれ、すぐに実装が始まる。あおいちゃんが事前の打ち合わせ通り、問題文の印刷をかけた。
「............」
リラックスした姿勢の黒子さんの後ろ姿から、バチバチと激しいタイプ音が聞こえてくる。それは一切途切れることなく、瞬く間にモニタ画面をソースコードで埋め尽くしていく。やっぱこの人やべーよ
「......あれ? おかしいな......」
あおいちゃんがふと首を傾げた。黒子さんのタイピング音もそのとき一瞬途切れたような気がする。
「どうしたの?」
「印刷されない。プリンターの電源ランプは光ってるのに全然動かない.....」
「こっちも、突然モニターがブラックアウトした。モニターが死んでるだけかもしれないので、コーディングは続けている」
続いている。
「これ、運営に報告した方がいいよな」
「そうして欲しい。頼んだ、あおい」
「りょーかいです!」
あおいちゃんがちっちゃい鞄からブルーの携帯電話を出す。主催者であるchokudaiさんの会社の、事前に言われていた連絡先に電話をかけた。
「あれ......圏外......どうしよう......」
「え、マジ」
そのとき突然、建物の床がグラリと揺れた。あおいちゃんがきゃっと小さく叫んでよろめき、こけた。手から携帯電話が飛び出し、僕の頭にぶつかってイテッてなった。黒子さんはいつの間にか実装が終わっていたらしく、腕組みをしたまま真っ黒の画面を睨み付けていた。
「いったたた......」
揺れは一突きで収まったが、ゴゴゴゴゴ......という鈍い音とカタカタという小刻みな振動がダラダラ続いている。
「地震......?」
「いや、順番がおかしい。それにこの地鳴りはどういうわけだ」
「............」
そのとき、3人が沈黙するのを待っていたかのようなタイミングでギャイイインという不気味な音が部屋中に響いた。あおいちゃんがびっくりして飛び跳ねた。音は黒子さんの近くから聞こえる。
「PCからだ......コイルの鳴きか?」
僕もあおいちゃんも本能的に黒子さんのそばに集まった。確かにこの異音はPCからだ。ファンの音もあり得ないくらいうるさい。
「え、てかスペック足りてるんですか? そういう問題では、ない?」
黒子さんが前屈みになって、PCケースの側板を覗き込んだ。
「少なくとも筐体はボロいが...... ん、13年前に購入されたモデルだ。中のパーツが比較的新しい物に交換されていたらしくて、気づかなかった」
「13年前? よくもまあそんな骨董品を......」
天下の究極東京大学がそんなケチな予算運用するとはなあ。
「わたしたちまだ小学生じゃないですか、ふふ」
「とにかくモニターがつかないことには、こいつが今どうなっているのか分からない。それにしてもこの地響きが気になる」
やはり地震にしては明らかにおかしい。少なくともこのままコンテストを続けられるような状況ではなさそうだ。
「ちょっと外出てみませんか? もしかしたら外で何かあったのかも......災害っぽいのが」
「いや、今はコンテスト中だ。トイレ以外の用で部屋の外に出ることは禁じられている」
「まあ、緊急事態ということで...... もしこれで失格とかになっても、勝負ならまたいつでもできます」
かなり渋い顔をされたが、とりあえず部屋の外に出てみることになった。そしてここからは念のため、3人揃って行動することにした。
「あれ!? ドアが!! 開かない!!」
あおいちゃんが必死にドアノブをガチャガチャやっているが、どうしても開けられないようだ。黒子さんが確認したところ、ドアノブ自体の鍵はかかっていなかったが、部屋が無人になったときだけかかる設定のオートロック機能が何故か作動していた。
「え、誤作動?」
改めて部屋を見渡す。動かないプリンター、画面が消え異音がやまないPC、誤作動したスマートロック。黒子さんが腕組みをする。
「......まさか、この部屋の電子機器が3つ同時に逝くとはね」
「わたしの携帯電話も、圏外になっちゃってるし......でも、他の機能はちゃんと使えてますよ?」
「僕のも......そうだ」
「なるほど。この汎用工学部構造体は部材が特殊な金属材料でできているため、携帯電話回線の電波からは遮蔽されてしまう。つまり、壊れた機器はもう1つある。あれだ」
黒子さんの指が、第4の電子機器を正確に指した。棚の上。ルーター。赤いランプがけたたましく点滅している。ルーターからは3本のLANケーブルが出ている。1本目はPC、2本目はプリンター、3本目は、壁の向こう......

「ジャッジサーバー室......」



お久しぶりでございます 水中ロボットや飛行ロボットなどを作っていました