ICPCエアプ参加記

一度もICPCに出たことのない人が綴る、すべての人のための架空参加記録


第6話

俺はけん玉が好きだ。物心つく前からずっとけん玉だけをやってきた。中学に入ってすぐ、初めて出場したけん玉の世界大会で優勝した。それで俺は一躍有名になった。テレビのレポーターなんかが山ほど押し寄せてきた。流行に便乗して手っ取り早く上達するコツを聞いてくる奴もいた。そういう連中には「死ね」とだけ答えていた。

俺は剣を振り上げる前の、玉が静かにぶら下がっている時間が好きだ。俺はけん玉と一体化し、永遠とも思える躊躇いののちに、ひとりでに世界との対話を始めるのだった。だがある日、俺はふと思った。一度飛び上がった玉は毎回微妙に違う軌道を描き、同じ軌道を通ることは二度とない。それなのに、何度やってもまるで最初から決まっていたかのように玉が刺さるのは何故なのか? こんなどうしようもない問に一々悩む必要はないことくらい、素人のお前にも分かるだろう。だが「俺は何やらすごいことを考えているかもしれない。こんなことで悩めるのは世界一の座を手にした、この俺の特権に違いない」という自惚れが、この疑問をいい加減に片づけてしまうことを拒んだ。大して思考が進展するはずもないまま、俺はそのひねくれた自尊心のために2週間くらい高校を休んだ。それ以来、けん玉をやるのが少し怖くなった。

俺はこの自分自身に巣くった自尊心に決着をつけるため、この究極東京大学に入学した。最初の2年間はひたすら第二外国語を学んだ。第二外国語は俺の抱えた問題に答えを与えなかった。進学振り分けで「けん玉全振り学部」に進学した。この学部は何十年も前に開設されて以来、一度も学生を受け入れたことがなかったらしい。この俺が来るのを、待っていたとでもいうのか。俺は心を入れ替えて、もう一度狂ったようにけん玉をやった。最初の半学期で、卒業に必要な単位を全部けん玉で埋めた。だが、いくら技術を磨いたところで、俺は俺の心の闇から逃れることはできなかった。




「勝手にセリフ入れるのやめてあげましょうよ。聞こえてたらどうすんすか」
「けん玉全振り学部は実在する」
「せんぱい、それほんとですか!」
黒子さんは冷やし担々麺の3杯目に取り掛かるところだった。中央食堂の夏季限定メニュー。4人掛けのこのテーブルに6食もある。1人で4杯食ってる奴がいるせいだ。
「人には人の生き方があるように、人の数だけ学問があるべきだ。仮にも総合大学を名乗るならば、究極東京大学はそれに応え続けなければならない」
もともと往来の少ないこの大学だ。昼過ぎの学食にいるのは、朝食を食べに来る黒子さんを含む僕たちと、壁際でいつもけん玉の練習をしている通称「けん玉くん」しかいない。
「近年見られる生き方の多様化に呼応して、この大学の学部群も増殖のペースを上げている。どれほど生き方が多様になっても、人はまず学問によって世界を知り、己を知り、やがて自分だけの生き方を見つけるのは変わらないからだ」
じゃあ学問やれよ。暗黒理学。暗黒理学で自分だけの生き方見つけてみろよ。
「やっぱり食堂の冷やし担々麺はおいしいですよね~」
「例えば、あそこのけん玉くんはけん玉を通して世界と向き合」
「うん、おいしいね」
「自己の内面と戦い続けるのだろう。やがてけん玉から『自分だけにしかできない何か』を見つ出して、卒業していく」
学食のラーメンの麺は細くて切れやすい上に食感も特筆するものがなく、一般的に言って「おいしくない」部類に入る。だが、冷やし担々麺にすると化ける。冷やし担々麺になるために生まれてきたのかってくらい、シャキシャキとしたもやしの食感とピリ辛のそぼろのつぶつぶ感を引き立てるのに長けている。
「えへへ、せんぱいって卒業できるんですか~?」
「ところで、『巨人の肩の上に立つ』という言葉を知っているか?」
この麺......もしかしてお前......「冷やし担々麺全振り学部」出身なのか?
そろそろ人々の意識が「一日の終わり」へと向き始めるこの時間帯。3人が全然違う話題で無理やり自分だけの会話を続けようとしていたそのとき......
「弊、黒子!」
「あら?」
お! ICPCで会った中国チームの人たちじゃないか! 日本に来ていたのか!
「この大学にはもう慣れた?」
「OK。蒙古枠内」
「せんぱいどうしよう。わたし中国語わかんないよ~」
確かに。黒子さん、いつの間に中国語を? てか向こうも黒子さんの言っていることが分かるのか?
「熟語を適当に繋げただけだから、聞いてればそのうち慣れるわ」
「中国言葉可能、日本言葉可能、同値。OK?」
「「お、おーけー......」」
いや、訳が分からん。本場の中国語はやっぱり難しい。僕とあおいちゃんが困っていると、中国チームの3人が黒子さんが食べているものを見て、急に思い出したように頭を抱えたり口元を押さえたりした。そして僕たちに軽く会釈をして、逃げるように定食コーナーへ消えていった。
「せんぱいは中国チームの人たちがここに来てるって知ってたんですか?」
「この前偶然会ったから、近辺を案内してあげた」
「いいですね。僕たちも呼んでくれれば良かったのに」
「やっぱり、競技プログラミングでできた人間関係は大切にしないとですね!」
「あおいの言う通りだわ。ご馳走様」
黒子さんが冷やし担々麺を完食した。さっきの3人の反応って、もしや......
「案内って、まさか二郎とか連れてってないですよね?」
「いや、全然」
「え、じゃあ今度せんぱいが連れて行ってあげたらどうですか?」
「そうねえ。あおいがそう言うなら、そうしてあげようかしらねえ......」
あおいちゃん、気付いてあげてくれ! こいつ、確実に「やってる」ぞ!



冷やし担々麺を通常メニューにしてくださいって毎年コメント出してる