第4話
新しい学期が始まって一か月くらい経った。あおいちゃんと僕は3年生。黒子さんも多分そのくらいだと思う。ここで、僕たちの通う「究極東京大学」について軽く紹介しておこう。
究極東京大学とは、名実ともに国内最大最強を誇る教育機関であり、その膨大な学部群は現在も活発に増殖と進化を続けている。卒業生の大半は「究極東京大学超大学院 -The Ultimate DAIGA Queen-」に進学し、就職するのはごく一部のどうしようもない落ちこぼれだけだ。そしてこの大学の最も大きな特徴といえば、2年生から3年生に進級する際に行われる「進学振り分け」だろう。というのも、「大学の意志」なるものによって、学生たちが無数の学部へとランダムに振り分けられるのだ。この一風変わった制度を何よりも面白くしているのは、振り分けのたびに新たな未知の学部が大量に発見されることだ。そもそもこの大学の学部群には、際限なく増殖しながら自己進化を繰り返すという変わった特性があり、さながら一つの巨大な生命体のように複雑なシステムを形成している。そしてその細胞のごとき一つ一つの学部に、生命体に宿る魂とでもいうべき「大学の意志」によって学生が割り当てられていくのだ。当然学生の数に比して学部が多すぎるため、学生が一人も所属していない無人の学部が大半である。また、余りにも学部が多すぎるせいで、学生が所属していない学部はもはや全く認知されない。そのような未発見の学部も含めると、この大学の学部の総数は100万とも1000万ともいわれる。
ちなみに僕とあおいちゃんは「第八四三工学部」に進学した。この第八四三工学部も今年見つかった新種の学部だ。同一の学部に2人同時に進学するのは非常に珍しいことで、学内でもかなり話題になっていたのが記憶に新しい。僕たちはどこまで縁があるのだろう。黒子さんは引き続き「暗黒理学部」に居座り続けている。黒子さん本人は自分の単位とか進級とかがどうなっているのかマジで把握してないらしく、去年からあおいちゃんが代わりに履修登録と成績確認をやっている。ところがあおいちゃんによれば、この暗黒理学部は講義名だけでなく学部のガイダンス資料や成績表など、一切合切全ての文字列が謎のエンコーディングによって文字化けしていて、完全に意味不明・解読不能らしい。折角代わりに色々やってあげているあおいちゃんですら、これにはもうお手上げのようだ。どうせ何をどれだけ登録しても黒子さんは講義に出ないし試験も受けない。一方の第八四三工学部の方は履修のシステムがちゃんとしていて、僕たちは特に問題なく普通の学部生活をスタートさせることができた。あおいちゃんの強い希望でお揃いの時間割を組んで、今日まで毎日そこそこ楽しくやってきた。
*
「なるほど~。究極東京大学ならではの制度、ということですね。ちょっと大変そうですが」
「ええ、そうなんですよね」
今日は僕たちのチームに雑誌の取材が来ている。大学の構内にあるお洒落なカフェの隅っこで、僕たち3人と女性記者さん、カメラマンの5人でテーブルを囲んでいた。
「話をICPCの大会の方に戻しますが、世界大会ではチームとしてどのような戦略で戦ったのですか?」
記者さんがにこやかに投げかけた。あおいちゃんがハキハキと答え始める。
「はい。やはり世界大会でも、いつも通りに最初の方の易しい問題を彼が、それよりも難しい問題をわたしが解いて、その間にせんぱいが......」
「......こちらの黒子さん、ですね?」
そう、こちらの黒子さんだ。肝心の本番で開幕から15時間もの大睡眠をかましていた。確かにコンテストは24時間もあるので仮眠は必要だが、問題なのは今も寝ていることだ。
「黒子さん、起きてくださーい」
「む......出番か?」
「いや、多分まだですけど。でも失礼なのでせめて起きててくださいよ」
「あ、いえいえ! お気になさらなくても大丈夫ですので! お疲れですよね、アハハ......」
「ほんと、すみません......」
ニコニコと話を聞いていたでっかいカメラマンが、恐る恐る口を開く。
「......変わった方、なんですね?」
「「そのとおりです」」
2人同時に即答した。
「ハハ......そういえば競技プログラミングというと、chokudaiさんが有名だと思いますが、お二人はchokudaiさんにお会いしてたりするんですか?」
変な人繋がりで思い出したみたいな展開やめんかい。chokudaiさんは変な人じゃない。
「僕はないですけど......」
「私もないです。いっかい会ってみたいですね~」
僕たちの答えを聞いた記者さんの目線がなんとなく、かつ自然に黒子さんの方に流れた。
「ちょっと、黒子さん」
肩をトントン叩いて起こすと、かなり不機嫌そうな顔をされた。
「......何」
「chokudaiさんに会ったことがあるか、って」
「chokudai......chokudaiねえ............」
おもむろに虚空を睨み始めた。いや、そんな考え込むこともないでしょ。記者さんもかなり気まずそうに黒子さんの様子を見守っている。
「........................ない」
「あ、ないそうです」
「ハ、3人ともありませんでしたか! それは失礼しました。まあ、忙しそうな方ですよね。chokudaiさんも過去に何度かチームで優勝されているとか?」
「確か、そのような話を聞いたことがあります。今は運営にも関わっておられるとかで」
昔からchokudaiさんは競技プログラミング界のスターみたいな存在だ。きっと黒子さんでも敵わないだろう。まず人間面で。
「それにしても、あのchokudaiさんに並ぶ業績ということで、3人のみなさん、本当におめでとうございます! それじゃあ、今日はお忙しいなか貴重なお話を聞かせてくださって、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそありがとうございましたっ!」
「ありがとうございました~」
最後にでっかいカメラマンに3人の並んだ写真を撮ってもらい、取材は終わった。あおいちゃんがセンターにいる方が絵になるのに、あおいちゃんに比べて黒子さんの身長がやたら高いせいで、全体のバランスを取るのにかなり苦労していた。
*
有機的で複雑怪奇な構造の究極キャンパスを出て、3人揃って夕方の静かな住宅街を帰途についた。道のりは3人とも同じ。実は僕とあおいちゃんは同じマンションの隣同士の部屋に下宿しており、黒子さんも余分に必要になった学費を捻出するため、あおいちゃんのところに絶賛居候中なのだ。ちなみに僕たちの下宿先が隣同士なのは、やはりあおいちゃんの強い希望に僕の両親が賛同する形で決まったものだ。
「黒子さんとchokudaiさんって、実際どっちが強いんですかね? 同じコンテストに出たこととか、ないんですか?」
「一度もない。私は蟻を潰すように弱者を一方的に嬲るような勝負しかしない」
......なんてやつだ、こんなのとチーム組んでたのか。知ってたけど。でもそれってchokudaiさんに勝つのは難しいって黒子さん自身が認めてるってことだよな。
「せんぱい、今日はラーメン、いいんですか?」
黒子さんからいつもの覇気が感じられないので、あおいちゃんも心配そうに尋ねている。
「いらない。食欲がない」
元気がないというより、不機嫌そうだ。寝起きなだけでこうはならない。chokudaiさんの話が出てからだ。そんなに強い相手が気にくわないのか。とはいえ、あおいちゃんを険悪な雰囲気に晒したくないので、これ以上は黙っていることにした。黒子さんも何となくこちらの意図を分かっていたのか、それから何も口に出すことはなかった。
暗黒理学部いきたすぎ